「離婚したい」「離婚してからどう生活すればいいのか」と悩みながらの離婚決意。
子供の状態やお金、様々なことが一気に降りかかる離婚は決して楽なものではありません。
私は、離婚を決断した後にネットで色々なことを調べ、それでも情報不足から行政の人たちに救われながらここまで来ました。
離婚を一人で背負うことは簡単ですが、誰かに本気で助けを求めることは難しいこと。
それでも、誰かに背負い込んだ思いを吐き出すことで、大事なことを得られることがあります。
自分に知識がないことでも、誰かに相談すれば、望んでいることを知ることができる可能性があるのです。
私が離婚の時に体験したことをお話します。
私が離婚した状況
出産を終え退院と同時に離婚届提出
私は出産を終え、退院と同時に離婚届を提出しました。
離婚を決断するまでには、それほど時間はかかりませんでしたが、決断を自分の中でした途端に、不安が強く押し寄せてきたのです。
その時の状況は、赤ちゃんが未熟児だったためNICUで入院中、5歳の息子と2歳の娘がいる状況。
私の離婚理由の一つには、切迫早産で2か月間の入院中に元夫が子供を放置して、不倫していたこと。
浮気をしていることは妊娠してすぐに気付いていたため、離婚を考え始めた時からSNSなどで不倫の証拠となるものを探していました。
SNSで不倫相手を特定することができ、その日から毎日チェックしていた時、衝撃の事実を知ってしまったのです。
相手の女も妊娠中…。
訳が分からなくなり、元夫に聞き出しても答えてくれることはなかったのですが、どうにか彼の子供だという証拠をゲットしたのです。
そこからは離婚に向けて行動を始め、それでもネットで得られる情報は少なく、読んでいても何を知りたいのかが分からずに、自分の知りたいことや気になることに辿り着きませんでした。
退院の日、病院を出てそのまま離婚届を提出して、福祉事務所に相談に行ったのです。
手持ちのお金は500円未満。
二人の子供は実の母親が見ていて、赤ちゃんは入院中。
働きたくても働けなくて、家もなくて、お金もない、離婚届を書いてからは、元夫とは連絡が一切取れなくなっていたのです。
お義母さんの話によると、慰謝料請求・養育費などの金銭的な話をしたくない理由で「電話にはでないでくれ」と頼まれていたみたい。
それでも時間は過ぎていくため、どうにかしてこの状況を進めて行かなければ子供の居場所がないから悔しくて、情けなくて、目の前のことに一生懸命になることしかできなかったのです。
離婚した時は家無し状態
私が切迫早産で入院しているときに、住んでいた家の賃貸会社から強制退去命令がきたのです。
半年分の賃貸料金が支払われていないと電話があったのですが、入院中で今はどうすることもできなかったため、自分の母親に代理で話をしてもらいました。
契約者である元夫は、私が入院するまでの間は賃貸会社からの電話に対応していたみたいですが、一緒に女といなくなった途端に連絡が取れなくなったのです。
母親が支払いをすると言ったのですが、状況を知った賃貸会社の方が「契約者から支払いをしてもらう方向でもう少しやってみます」と言ってくれ、何十万にもなる支払いをこの時だけは免れました。
しかし、退去命令に変わりはないため、退院から一週間以内まで待ってくれることになったのです。
この時はまだ出産を終えてなく、いつ生まれるのかも分からない状況だったのですが、理解してくれる担当者さんだったため、荷物を失わずに済みました。
「私、退院しても帰る家がないんだ」と思うと涙が止まらず、これまでの生活が嘘かのように思えて、もうすでにどうすればいいのかお手上げ状態だったのです。
これだけで終わることはなく、さらに苦しい状況へと進んでいくことになります。
元夫が作った借金を抱える現実
離婚してから元夫のお金問題が酷いことを身をもって知ったのです。
一緒にいるときも、自分の名義が使えないからと私の名前でお金を工面することがあり、結局支払うことができずに、私が自己破産をすることになった過去があります。
離婚してから私が知った現実は、ある香典をすべてギャンブルに使い込んでいたこと。
子供の半年分の入院費を一切支払っていない。
子供の貯金がすべて使われていたこと。
保育料の滞納、家賃滞納、スマホを解約していないため滞納状態。
毎月の支払いは元夫の口座から引き落としにしていたから、私が把握していませんでした。
離婚してから、元夫が電話に出なくなったことで、私の方に催促の電話が来るようになったのです。
どこに何を言っても、結婚しているときに作っているものだから、私にも支払う義務があると言われました。
当然のように離婚を決めた時に入院していた2か月分の入院費も私が払うことになったのです。
大学病院だったため、金額も大きく、すべてを合わせると400万近く。
働くこともできない状況だったため、一件一件に電話し、毎月の支払いを分割にしてもらいました。
離婚して4年経つ今では、やっと残るは一件になり完済の目途が見えてきた状況です。
一つが完済すれば、他の所の返済額を増やしていく状態で、離婚してから「生活が楽だ」と心から感じたことはありません。
もちろん周りの人は何も悪くないけど、「目障り」「うざい」「幸せな姿を見せてくるな」と周囲に嫉妬したこともあります。
まだ返済が終わっていないから、ふと思うことは未だにあるのです。
離婚して困ったこと
働けない状況で家なし、金なし状態
離婚して困ったことは、働けない状況と家なし、金なし状態に本当に苦しみました。
「私生きる意味本当にないよね」と思うことは多々あり、「ここで死んで楽になってやりたい」「こんな状況で子供といても絶対に幸せになんかできない」本当に苦しくて仕方なくて、この時のことを思い出すと今でも涙が出るほど、辛かったです。
離婚してからは実家に戻ったのですが、姉妹がまだ母親と住んでいたので部屋がなく、真冬に私は床で寝る状況。
それでも寝られることがあるだけで有難く、何も言わずに耐えるしかありませんでした。
姉妹から言われたのは、赤ちゃんが退院するまでの期間だけ。
それ以降は出て行ってもらわないと泣き声がうるさいだろうし、もっと狭くなるから無理だと言われ、期限付きの実家生活でした。
住んでいた家の荷物は母親からお金を借り、すべてトランクルームに入れた状態です。
広くない実家なため、一人服は二着までと言われ、それ以外はすべてトランクルーム行き。
時間も心に余裕もないことがストレスで、「離婚はあんたが決めたこと」と何も言い返せないことを言われると、どうしようもない。
姉妹には本当の離婚理由を言っていないから、どう思われても仕方ないけど、家が整うまでは居ていいという言葉が単純に欲しかった。
甘えてると思われればそれまで。
だけど、甘えてる、甘えてないとかいう次元じゃない。
今を乗り切らないと生きていくことができないのに、自分の家族が協力してくれないことが寂しかった。
「一日300円払ってもらうから」と言われ、食材を使うことや光熱費の請求。
本当に家族じゃないな…と思いながら、もう私は耐えるしかないから、働きだしたら返すと約束したのです。
私は元々自分のことを自ら話すタイプじゃないけど、ここで「誰も信用できないし、困ったときには手を離すんだな」と改めて感じた。
シングルマザーは本当に孤独。
共感してくれる人はいないし、分かってもらおうとも思わなくなる。
それは、同じ経験をした人はいないし、すべてを理解してもらうことなんてできないから、孤独でも一人で戦った方が楽だとも感じた。
福祉事務所に相談に行き、状況説明をしての繰り返しで、何日も全く動かないことに腹立たしさもありました。
本当に明日どうすればいい?という状態で、なんでもいいから安心できることを答えてほしかったのに、何も変わらないのが現実だったのです。
生活保護を受けるにも、同居状態では受けられない。
「じゃあ、どうすればいいの?」
家を探して、出る準備なんて万全の状態なのに、お金がないから何もできない。
何度も福祉事務所に通って、だんだん私が本音を吐き出したことから状況が変わり始めたのです。
相談に行っても自分のプライドが邪魔して大事なことは伏せていたり…。
感情に任せて何時間もかけてすべて話した日があったのです。
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お金を借りるところがない
離婚してから、お金を借りるところがないのは、本当に困りました。
家を探すにもお金がないから、契約したくてもできない。
「お金がない」と毎日考え続けることで精神状態がおかしくなる…。
福祉関連にもシングルマザーがお金を受け取れる制度はあります。
しかし、それは生活を賄うための制度で、家を借りようと思ってもその金額では到底無理なものだった。
取り敢えずの生活費だけでも、貸付制度を利用しようかと思ったのですが、返済期間が定められているため、返せるのか分からない状況で借りる勇気がありませんでした。
働きたくても、日中は病院で赤ちゃんのところにいて、夕方には二人の子供をお迎えに行く。
実家だとしても、家族でお店を営業しているため、夜働きに行くこともできなかったのです。
返済していく目途が立てられないことで制度を利用できませんでした。
児童扶養手当も児童手当も、この時期にはまだ4か月に一度の支給だったため、待たないと入ってこない状況だったのです。
どこかにお金を借りたくても、働いていないから受けることができない。
福祉事務所に相談に行っても、今まで色々な状況を聞いてきている人達だから、「疑っているのかな」と思われるほど、最初は「なんでできないんですか」と何を話しても言われてしまう。
なんでできないのかなんて、私にも本当の理由は分からないし、家族がいても助けてくれる家庭ばかりじゃない。
「元旦那さんとの連絡は取っていますか?」「お金の話はされていますか?」など、きちんと話すことができる状況であれば、そのまま話しているし、今のここまで最悪な状況にはなっていないと思うと感じていた。
本当にどうにもならないけど「生活保護なんて嫌だ…」と思いながら、相談に行っている。
そのことを理解されるまでにも時間がかかるんだなと思うと、周りで普通に暮らしている人が受け入れられなくなってきたのです。
誰も悪くないのに、「なんで私だけ」という思いが強くなり、「誰とも関わりたくない」「信じてもらえない」「助けてくれない」と自分のことばかり考えるようになり、進まない現実に嫌気が差してきたのです。
働けない、お金を借りられない、生活ができない、先が見えない、すべての支払いができなくなる。
日々が苦痛で、スマホの料金が払えなくなること、保育料が払えなくなること、どれも期限が近付いているのに、どうしようもできなかったのです。
子供の精神状態を理解すること
子供の精神状態を理解することは、離婚して悩んだことでもあります。
入院中の2か月間会えなかったことで、子供たちは私が離れると敏感になってしまい、年長の息子でさえ保育園に送ると泣きだしそうになっていたのです。
保育園に迎えに行くと必ず泣いて来るようになり、ここまで不安にさせてしまっていたことが申し訳なくて、早く安心させたいと思ったけど、子供は受けた現実をそう簡単に拭うことはできません。
離婚して4年経った今でも、「どこに行くの?」「帰ってくる?」「どのぐらいで帰ってくる?」と聞くのは日常。
少し前までは、買い物に行ってくるからと出ても、少し遅くなると探しに出てしまう状況。
周辺のお店の人が泣いて歩く子供を見て店内で預かってくれていたり、家まで送り届けてくれたりが何度もあったのです。
近隣のお店の人たちには本当に助けられました。
お店に行ったことはないけど、よく通る道を子供が行くから、「あれ?」と心配して保護してくれる状況に何度も救われてきたのです。
また、今までずっと一緒にいたため「パパは?」「いつ帰ってくる?」「パパに電話してもいい?」と一日に何度も言ってくる子供たちを見て、胸がえぐられるような思いでした。
「ごめんね」だけじゃ、たった一人の父親の存在を失ったことに許してはもらえないはず。
週末には必ず出かけて、何をするにもパパにべったりだったから子供たちに言うことはできないため、「パパはお仕事で遠くに行ってる」と言い続けてきました。
長男が知らない間にパパに何度も電話をかけているけど、一度も出てくれることはなく、「なんで帰ってこないの?」「なんで電話にでないの?」「誕生日の日には帰ってくる?」と寂しさを募らせていることが目に見えて分かったのです。
この時の私は、お金がないことで疲れていたため、「もう電話しなくていい」「パパは何してるか知らない」と子供に当たってしまうことも度々ありました。
大きくなるにつれて、「もう帰ってこないの?」という言葉に変わり始めたのです。
長男に離婚したことを告げたのは、小学校1年生が終わる前。
離婚した事を言ってからは、パパの事を口に出さなくなったのです。
私は楽になったけど、本当に言ってよかったのかなと、どれが正解で、どうしてあげればいいのか分かりませんでした。
娘には息子から教えていたみたいで、理解がまだできない娘は「パパが帰ってこないのはママが悪いから」とも言われたことがあります。
この言葉には、本当に胸が締め付けられ、笑うことさえできなかったです。
今では、「新しいパパ作って」と言うまでになってくれました。
だけど、離婚当時赤ちゃんだった末っ子は、”パパ”という存在すら知らないまま今は4歳。
未だに大人の男性を見て少し遊んでくれると「パパ」と言ってしまうことが度々あります。
何度も説明をしたけど、きっと今もちゃんとした父親という存在を知らないから分からないまま…。
職探しも困難
離婚後、生活保護を支給されることになり、生活は本当に楽になりました。
末っ子は体が弱かったため、生後6か月から入園可能な娘が通っている保育園でもすぐに入ることはできませんでした。
生後6か月は来ていたけど、他の子よりも成長段階が遅く、離乳食を始める時期は病院と相談してまだ始められずにいた状態。
ミルクをまともに飲めるようになるまでは保育園には入れず、入園してからも、最初のころは先生があげても飲まなかったのです。
何度もミルクの時間に私が保育園でミルクをあげました。
私がミルクをあげなくなっても大丈夫になったけど、一人の先生以外があげると飲まず、その先生が休みの日には、末っ子を預けることができなかったのです。
保育園に入園してから4か月経った頃、やっと他の先生を受け入れるようになってくれたため、本格的に仕事探しに専念できました。
だけど、正社員はもちろん、パートでもなかなか子供3人、何かあったときには見てくれる人がいない私を受け入れてくれる職場はありません。
「お子さんが熱を出した時には、どなたかに預けられますか?」「子供3人いて、本当に働けるの?」「人手が足りないから募集しているのに、休まれたら意味がないんだよね」など、色々なことをそれぞれの場所で言われました。
それでもシングルマザーの現状を理解し、みんなでサポートしてくれようとする職場に出会うことができたのです。
「子供がいるから休むことは理解するけど、その後の行動を大事にしてください」と言われ、その職場は私以外にもシングルマザーの人がいて、みんなでサポートしてくれました。
「出勤した時に頑張ってくれればいい」、保育園から電話がかかってくると人手がいないのに帰らせてくれる。
子供のことで休むことに関しては何も言われたことがありません。
しかし、そんな職場の良さを感じると、子供の行事などを理由に休むことができなくなったのです。
職場の人に言われるからではなく、私が「休めない」と思い始めてきました。
休みたくないと思ってしまうことが、いつの間にか「苦しいな」と感じてしまっていたのです。
子供の行事の時でしか見られない様子があるし、参観日でいつも来ない事を分かっているから「明日来ないんでしょ」と言ってくることが普通になっていました。
やっと見つけた職場だったけど、これが私が仕事を変えようと思った理由の大きな一つでもあります。
今は、仕事をしながらちゃんと子供との関わりを持つことができる、休む日数で収入の増減が働き方をしています。
私が相談にいったところと話した内容と示された解決策
福祉事務所・生活保護課での相談
離婚して真っ先に向かったのが、福祉事務所でした。
何も知識がないため、ネットで検索するとすべて福祉事務所の名前が出てきたため、真っ先に向かったのです。
「あなたの状況は生活保護を申請しないといけない」と初めて行ったときの相談員の方に言われたのです。
そのまま、生活保護課の人を繋いでくれ、一緒に話をするときにもいてくれました。
相談員の人にはすべてを話していたため、「早めに動いてあげてくれませんか」と生活保護課の人に言ってくれたのです。
生活保護の申請をしても、すぐには支給されることはなく、審査や関わる人への通達、返信など書類が揃わないと動き始めません。
問題を抱える人が行くことのできるシェルターを紹介されたのですが、元夫の実家が近くにあるため、断念しました。
生活保護に相談して知ったことがほとんどで、「生活保護者を受け入れてくれる物件を見つけて見積書を早めに持ってきてください」と言われ、家賃や共益費が金額内であれば受け入れてもらえること。
生活保護課と賃貸会社が連携をとること。
契約金は負担してくれる、必要最低限の洗濯機や炊飯器、冷蔵庫などの家電は金額内で購入してもいいこと。
おむつやミルクが購入できない事を考慮してくれ、生活保護決定までの期間をしのぐためのお金を緊急で支給してもらえました。
思ってもいなかったことが起き、その場で泣きじゃくる私の姿を見て、いつもいてくれる相談員の人と担当の生活保護員の方が弁護士の無料相談にダメもとでも行ってと教えてくれたのです。
無料弁護士相談
福祉事務所で教えてもらった無料弁護士相談にも行きました。
30分無料で、養育費や慰謝料をどうにか取れないかという相談に向かったのです。
全て話をして、返ってきた答えが、「ここまでひどい状況だから調停を行っても、出廷しない可能性、支払いを放棄する可能性が十分にある」と言われてしまいました。
裁判や調停はお金が発生することだから、出廷しない場合や支払いを放棄した時には、私にすべての負担が来てしまうと…。
「ああ、また何もできないんだな」と思った時、「まずこの話を進める前に元夫名義の資産がないのか調べることは可能ですか?」と言われました。
資産や名義で所有しているものがあれば、それらで闘うことができると知ったのです。
離婚の調停であっても、養育費や慰謝料の請求は、婚姻関係にあったものだけではない。
財産分与として残されたものがなくても、その人の資産となるものがあれば調停に持ち込むことができると言われ、名刺を渡され、「見つかった場合には連絡ください」と言われたのです。
後々受け取る予定のある資産もあれば、それも書き留めておいてくださいと言われ、男性は隠し財産を持っていることは多くあるため、探してみる価値はあると思いますと言われました。
慰謝料は手元にある現金だけではない
私は、養育費の請求をしたくても元夫が古くからの知人が営む小さい会社で働いていたため、調停をしても無理な気がすることを伝えると、給料だけから取れるわけではないことを知ったのです。
手元にお金がなくても、会社ぐるみで支払いを行わないようなことがあっても、資産や名義のものがあれば可能性があることを知りました。
まずは自分で動いてみないと、貰えないお金。
今までの元夫を見てきているから「ないだろうな」と感じたのですが、本当にダメもとで探してやろうと思い、行動したのですが、車などもすべて名義を変えていました。
弁護士の人が「車などは名義を変えている可能性があるし、家も名義を借りていることもある」と言っていたのが、すべて当てはまったのです。
結局私は何も見つけられないまま終わってしまいました。
離婚は本当の意味で人間を変える
私はこんなに生きることが大変なことも、人との繋がりの大切さを実感したのも、離婚がきっかけです。
離婚したらどうにもならなくなるからと留まったこと。
苦しい状況が続いてきたけど、今となっては本当に幸せを感じられています。
こんな経験は人生の中でも味わえることはありません。
行政を頼ることも頭にはなかったし、まさか自分が生活保護を受ける身になるとも思っていませんでした。
本当に悔しかったし、苦しいことが多くあったけど、離婚を経験して改めて感じたことはたくさんあります。
シングルマザーだからと言って不幸なことばかりではありません。
私が福祉事務所に行くと4年前に出会った相談員の人は、「元気にしてる?」「大丈夫なの?」と声をかけてくれます。
今は、あの頃に比べると生活保護から抜けることができ、楽な生活ができているのです。
でも、あの相談員の人に出会わなかったらどうなっているのか分からないのも事実。
知人や友人に自分を見せることは今でもできないけど、人を頼る大切さを知りました。
だからこそ、シングルマザーの人を応援したいとも感じるようになったのです。
自分の家族でも母親以外とは離婚当時のことがきっかけで疎遠状態。
今でも当然家族であっても許すことができないままです。
色々ありますが行動を起こせば、本当に状況が変わってくる可能性は十分にあることを多くの人に伝えたいです。
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